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東野圭吾『虚ろな十字架』

東野圭吾『虚ろな十字架』

これは軽い気持ちでは読めない、重い、とにかく苦しい 出口のない迷路に迷い込んでしまう「赤い指」「さまよう刃」等と同じ社会派サスペンスで、いかに罪を償うか償わせるか、そもそも償えるのか、ぜひ多くの人に読んでもらい、真剣に考えてもらいたい問題提起の作品です。

 

人が人を殺してはいけない。だから人を殺したら死刑。しかし、死刑は国(人)が人を殺すことだから、その理屈は成り立たない。だから、死刑は廃止にすべきだというのが死刑廃止論

 

だけど、それはあくまで理論的な議論であって、被害者遺族の感情としては、自らの死も望む殺人犯を死刑にするのは褒賞同然。望みが叶わない苦痛を味あわせたいと思うだろうし、一方で罪を償うも何も、一刻も早く消えてほしいとも思うだろう。

 

 「(殺人)事件が悪い夢だったら一番いいけど
今ここに愛美がいないからそれはあり得ない。
だから、元々愛美なんて子供はいなくて
あの子がいたというのが夢で
それが覚めただけだったならどんなに楽だろうって思う。」

 

あの子がいた事実が事実でなくなればいいなんて、そんな風に思うしかない親の悲しみや苦しみは壮絶なものでしょう。何を以てしても罪は償えないとしか思えません。

さらに、犯人の心理が次のようにも書かれていました。

「死刑を刑罰だとは捉えなくなっていた。
自分に与えられた運命だと思っていたのです。
彼が上告を取り下げたのは
ようやく運命が決まったのだから
もう(裁判の)やり直しは面倒だということだったのです。」

落胆以外の何も感じませんね。今までも責任感なく、「諦める」「投げやり」が普通の
環境で育ち、生きてきたんだろうな。罪を償うなんて意識は欠片もないとしか思えないです。

 

これはフィクションのお話ですが、現実も変わらないでしょう。
他にもネタバレになるので、詳しくは書きませんが、これが罪を償うことの本質というべきものなのだろうというストーリーも含まれています。それが作者の殺人を犯したものへの願いなのでしょう。

しかし現実にはそれ程までに罪を償う意識を持つものなど、皆無に近いのではないかと思ってしまいます。殺人という大きな事だけでなく、いじめ、からかい、悪口、その他ちっぽけな事でも、自分の一挙一動により起きること全てに「責任」が伴うってことをしっかりと真剣に考え、想像できるような環境を保つことが必要なんだろうなと考えさせられました。